★☆ き.に.な.る.ニュース ☆☆2018. 1▲戻る 為替、株などの景気浮揚も気になる年ですが
何よりも東アジアの安全保障が保たれるのか!
2018. 1.31 経済活性化の政策に疑問?

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先進国が手掛ける大きな流れは、グローバル化を手段にして、経済成長を推進することである。関税を撤廃してあらゆる商品が、ダイレクトに輸入されてくる。人口が減少していく中、労働者の不足は外国人労働者と主婦層を当てにしていて、保育所の増設、待機児童の解消を目論んでいる。しかしながら、大きな流れとすれば、日本人の70%は日常の生活にほぼ満足しているのが実態で、購買意欲を刺激をしても、消費者の反応は鈍い。政府も経済人も40年前と同じように事を進めるので、世の中の歯車は回ってはくれない。意識や価値観が変化しているので、市場が反応しないのは当然でしょう。「より大きく、より早く、より豊かに」という生き方が、仕事を歪にしている。自然界の動物や虫たちも外来種には、色々と手子摺っている?
2018. 1.30 Mister Kelly's

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大阪西梅田にあるライブハウス、我が川村家のお寺の住職の奥さまが出演されるので、一般客で聞きに行った。予約していたので、いい席で聞くことが出来た。なんと2枚目のCD出版記念ライブ、徂徠真弓さん。お寺の山号が奏楽山、音楽ファミリーにはピッタシじゃないですか〜。ご主人のお顔も見え、動画を記録されている。夫婦仲良し羨ましい限りです。♪First Song / Hymn To Freedom / What A Wonderful World / After You've Gone / 昨年6月には、お寺の本堂でジャズライブをされたし、非常におもしろい時代になって来ましたね〜。→ 2017.6.24 ムジークフェスト2017 #3920
2018. 1.29 無理

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この世の中、無理をしている人が多すぎるように思う。財力で相手をねじ伏せる。マイホームを建てる。徹夜をして仕上げる。お客さんが来られるので大掃除をする。孫の大好物のお菓子を作る。彼女にエエかっこをする。周りのあちこちで無理が見える。「なんで無理をするのかなあ」と思う。「無理はアカンけど、無茶はまだ許せる」と教えられた。「若いときにこそ、無茶をしといたほうがエエで〜」と。なんでか、無理は道理でない。「物事の正しい筋が通っていない。人として行なう道から外れている。」からだと思う。無理ばかりを言うお隣の国は、やはり道理に乏しい。しかし、無理を承知で頼みに来られ、拝み倒されても、毅然として断わる勇気を持ちたいものだ。
2018. 1.28 歪んでいる現場

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治療や介護そのものをパターン化したいのが在りありと見える。聞いた話だが、誤嚥患者の治療や介護をするより、胃ろうを施す。食道が細くなって、このままでは死にますよ、と半ば脅されて、誤嚥の介護や治療はせずに、比較的長期介護の治療の胃ろうを奨める。高年齢でしっかりしている患者(たとえばトイレは自分で処理できる)に、睡眠誘導剤を入れた点滴をして、おむつにしてしまうとか、看護師が手の掛かることは、一切しないようになっている。患者が人間らしい生活ができるということは無視、人間本位のお世話ではなく、病院側の都合のいいような治療体制になっている?介護士や看護師はその方が楽である。病院側とすれば、患者が元気でウロウロしてもらうと困るのだ、大人しく半人間でベッドに縛っておくのが一番いい状態なのだ。
2018. 1.27 ぼやき人生

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かつて上方の漫才には、個性豊かなご夫婦が何組かいた。その一番は、ぼやきの人生幸朗、生恵幸子さんである。「ホンマに出て来はったらどうすんのん」「謝ったらしまいや〜」、最後は「このどろ亀!」「ごめんちゃい」で終わる。今は政治に絡むネタは、放送局が規制しているのでご法度、全く面白くないが、この夫婦漫才は聞いていてスカッとした。爆笑問題の太田光さんが、多少の風刺を入れてしゃべるときがあるようですが、ネタも窮屈になってきました。差別につながる言葉や不適切な表現などウルサイ世の中、もう少し大らかに自由に漫才をしてもらいたい。
2018. 1.26 改憲、それとも護憲?

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何も国を二分して議論するような問題ではないし、是々非々で憲法を捉えればイイ、憲法を聖域に祀るのはどうかと思う。天皇制打倒を唱え現行憲法に反対した共産党が、なぜ「護憲」なのか!立憲民主党の枝野代表は改憲OKの立場であったが、今や護憲勢力に呑み込まれている。自民党が「改憲」であるから、野党は「護憲」の旗を掲げているのであって、国や国民のことを考えての「護憲」ではない。立法府の立場でもない。反自民だから、である。憲法学者が合憲か違憲か、の話は学問的解釈であって、政治的判断ではない。立憲民主党は、共産党との距離をもっと開けるといいし、リベラル中道であるならば、「護憲」という看板は下ろしておくのも手である。強烈な護憲派に掻き回されないことだ。
2018. 1.25 西部 邁氏の死?

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冬の多摩川に身を投げた西部 邁氏、何があったのでしょうか?論理思考は素晴らしいものであったというよりも、私たち凡人は付いて行けず、理解に苦しみ、何度も何度も読み返せねば理解出来なかった。鋭い感性をお持ちであったと思う。ところで、社会思想家の佐伯啓思氏が書かれている連載「反・幸福論」(新潮45)は、昨年の7月号からこの2月号まで、テーマは「死について」であった。佐伯氏は東京大学の後輩で、西部氏の影響は大きく、その論説はシャープで定評がある。何か考える所があって自ら命を絶たれたと思うが、この佐伯氏のエッセイと西部氏の死と、何か関係があるように思えてならない。
2018. 1.24 トルコ行進曲

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子供の頃から親しんだ曲にトルコ行進曲がある。モーツアルトとベートーベンの曲があって、モーツアルトのほうは、ピアノソナタ第11番イ長調K331番の第3楽章がトルコ行進曲と呼ばれていて、ベートーベンのそれとは全然ちがう。オスマン帝国の軍楽隊の行進曲がトルコマーチであった。ラッパと太鼓の多用が挙げられるトルコマーチの特徴は、かつて「阿修羅のごとく」向田邦子原作のTVドラマ主題曲(メヘテルハーネ「ジェッディン・デデン」) が、一番近いものではなかろうか。当時、オーストリアは隣国オスマントルコには一目を置いていて、天才モーツアルトもベートーベンもトルコ軍へ建国100年の祝意を示したということ。
2018. 1.23 食べること

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一人暮らしの老人が孤独死をするのと、一命を取り留めて延命治療を続けるのでは、どちらが悲惨でしょうか?助かって良かったという思う反面、本人にとっては、気が付かないままの自然死の方が良かったはず、身体に穴を開けられ管から栄養分を注入されても、食べる喜びを無くされるのは、地獄に等しい。管を抜けば死が待っているとお年寄りに考えさせるのも酷いことだ。まずは、歯で噛み、舌で味と温かさを感じ、歯触りや歯ごたえ、柔らかさや固さを噛んだときの歯ぐきに来る感触と顎の力加減、頭蓋骨への軽やかな振動と脳細胞に心地よい響きを伝える。それと同時に、鼻から入る臭覚、噛んだときの香りが伝わる。喉ごしの潤いとともに満足感を楽しむ。この感触がないのは、惨めであり酷い仕打ちである。
2018. 1.22 消防出初式

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かつて新町1丁目に消防局があったので、お正月には西長堀川に臨んでの出初式があった。その名残を留める意味を込めて、木津川に面するトコトコダンダンで第1回西区消防出初式が実施された。小さな消防車もパレードに参加、災害救助部長の号令で放水が始まった。河川の管理上、色付きの放水は出来なかったが、地域の子供たち、防災リーダーが参加、クロス放水や消火器の放水も行なわれた。
2018. 1.21 いろはカルタ

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犬も歩けば棒にあたる、論より証拠、花より団子・・(江戸のカルタ)、一寸さき闇の夜、論語読み論語知らず、針の穴から天のぞく・・・(上方のカルタ)、いろはカルタには、日本の文化が凝縮している。お正月に家族、親しい仲間が集まって、一緒に食事をしてお祝いをして、カルタで遊ぶ。いろはカルタをしたり、百人一首をしたりして、遊びながら教養を身につけ、親交を深めるということをしていた。お正月は、実に合理的に絆を醸成するシステムであった。江戸時代の昔の偉人のすばらしさに感謝、日本人の知恵に感謝、感謝である。コンピュータゲームを触っていては、子供たちの社会性と教養は身につかない。
2018. 1.20 J.F.ケネディ

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1961年1月の大統領就任演説で、有名な言葉に「同胞のアメリカ国民諸君、国が何をしてくれるかではなく、国のために自分が何をできるかを問うてもらいたい。」世界に向かっては「アメリカが何をしてくれるかではなく、人類のため、みんなで何ができるかを問うてもらいたい」。まさしく今の日本に求められているのは、これである。自分にとって都合が悪くなると、そこでハタっと気がつく人が多いように思う。愛想はいいが無頓着な人、指示をするまで、動かない、動けない人が多いのだ。自分が困る時は「それは困ります」と明確に表現するが、それならば困らないように、普段から考えてアクションを起こしておけばいいのだが、時すでに遅し。
2018. 1.19 少しは毅然として・・・

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外相の河野太郎氏がカナダで頑張っている。韓国の外相とにらみ合う写真が新聞に載っていた。日本政府として、言うことは言っておくことが重要であり、態度は明確にしておくことが肝要である。ややもすると一世代前の日本の政治家は、先天的に外国人には弱く、どっちつかずの態度で接する人が多かった。特に、国の外交を司る外務大臣は内容をしっかり伝えることが一番必要とされる。近頃の書籍や評論家も韓国事情に深く、対韓国外交に関しては、実利的なアプローチを示している。国民のすべてが賢くなったように思う。朝日の凋落と同じくして、ヘイトスピーチや反体制のからくりが徐々に見えてきたからではないだろうか?
2018. 1.18 ツマラナイカラヤメロトイヒ

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大相撲初場所が始まった。日馬富士の引退で鎮まったかに見えるが、"東ニ病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ 行ッテコワガラナクテモイイトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバ ツマラナイカラヤメロトイヒ"。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」である。神に仕える大相撲の力士、他の2横綱までその場にいたが、何とも醜い話である。減俸は当然、八百長騒ぎ以来の激震である。モンゴル力士が絡んで、親方の確執のようだ。抑々ものごとは喧嘩や訴訟で治まることはない。弁護士を通じて裁判沙汰になって和解しても、決して心情的には解決はしないものだ。国技大相撲を鑑み、「そういうことならば」で落ち着くのが一番だと思う。
2018. 1.17 江戸川

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手頃なうなぎ屋は、なんばウォークの江戸川である。九条や新町堀江にも数軒うなぎ屋はあるが地元には行かない。繁華街に出て、何か食事でも、という時、難波界隈であればココにくる。一生に10万食のご飯を食べるなら、いろんな店に行けばイイが、同じ店に10回以上行くのは、凄いことである。今日は友人との語らい、まず鰻定食、柳川鍋、串肝、中生を所望した。世の中がズレてきたこと、潮目が変ってきたこと、話すことしきり。日本酒とうなぎ蒲焼を追加して、久しぶりの宴会気分であった。かつて神戸ルミナリエの帰り、父母と家内と4人で来た。
2018. 1.16 "弱者救済"という思想

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「弱い人を助けると感謝される」という考えは世界にはない。日本にはそれが当たり前となっている考え方である。日本人はお人好しと言われる所以であって、感謝されずに裏切られることはよくあることなのだ。弱者は、弱者だから「ずるい」、だから気をつけたほうがイイ、と思っていてお付き合いするほうが賢明ではないだろうか。弱者であることを武器に「差別だ」、「ヘイトスピーチ」だと言われ、表現の自由を侵され、正当な批判すら出来ない社会になりつつある。世間が助けてくれて当たり前という傲慢な弱者も見受けられる。過去には、一旦、権力を持ち強者となれば、強者の論理で動き、差別や排除をしている大統領や国務長官も存在した。
2018. 1.15 不倫

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"不倫"という言葉を聞けば、誰しも興味津々となって耳をそばだてる・・・。辞書によれば、道徳に反すること、倫理的でないということが"不倫"である。特に男女の関係が人の道を外れること。人としてあるまじき行為が"不倫"ではなかろうか?"浮気"の方が安直に理解ができてイイように思うが、罪の大小から見れば"浮気"のほうが許される感じがする。思い憧れるだけの"浮気"もありそうです。"三年目の浮気""七年目の浮気"というヒット曲や映画があったが「あーあ、しゃーないな〜この人は〜」で終りそうな、"不倫"よりはほのぼのとした雰囲気である。こう考えてくると、"不倫"という行為は「人間じゃねぇ〜」という否定される強い言葉である印象を受ける。"浮気"は人間がするもので、まだ人間扱いなのですね〜。
2018. 1.14 朝日の暴走がマスコミを堕落させた

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朝日は、新聞にしてもTVにしても、シナリオを作るのがお好きなようです。薄っぺらいお涙ちょうだい物語を作ってみたり、弱い者の味方とばかりに政策の不備をついてみたり、そういう見え透いた記事を載せ、番組を制作する。自分たちが弱者の代弁しているかのような、上から目線で傲慢な態度である。昨年の総選挙の結果にしても、国民は自民党の政権を支持したが、その結果は不服とばかりに、反安倍に固執、安倍は悪者という印象操作記事を掲載、3分の2は取り過ぎだとか、野党が割れたからだ、と潔くない。事実だけを正直に載せればいいものを、都合の悪い事実は書かないし放送もしない。モリカケ騒動は、朝日が仕組んだデマ、疑惑でも何でもない。
2018. 1.13 組合 平成30年新年賀詞交歓会

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ホテル日航大阪で、大阪管工機材商業協同組合の平成30年の新年賀詞交歓会が開催された。久門理事長あいさつでは、昨年の総合展のお礼と報告、組合結成80周年祝賀会を3月に開催する旨を述べ、続いて来賓あいさつ(近畿経済局、ベン横沢社長)、来賓紹介、そして乾杯(商工中金)で祝宴がはじまった。440名の方々が参加し大入りの盛況な新年パーティーとなった。今年は、世界の産業のあり方、労働構造が激変する年になるやも知れないとのこと。恒例の"大阪〆"でお開きとなった。弊社から川村社長が参加した。
2018. 1.12 国と国との約束より、自分の面子

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何重にも縺れ、糸口が見えなく団子になっている歴史。見解が違っていることを認めず、子どもの喧嘩がこじれて、そのまま何代も引き摺っている。伊藤博文統監時代、司法と行政が混同しているので、司法改革を手掛けたが、なかなか朝鮮の社会には根を下ろさなかった。日本への恨みがあるゆえに百年経った今でも、その土壌は改まっていない。朴前大統領の横領疑惑、日韓慰安婦合意がくすぶっている。法による裁き、決め事を実施することが非常に不得意なお国柄だ。三権分立の態はなさず、法で裁かれても、何やかやの特赦ですぐに軽減され許される。この南北会談、中途半端な文政権では、北に呑み込まれ信用は失墜する。
2018. 1.11それは東京五輪から始まった

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オリンピックの体操"ウルトラC"の技が出ました。流行語となったウルトラC、それを受けて1966年「ウルトラQ」がTVで放映された、そして次の年「ウルトラマン」が登場した。そしてウルトラマン80、ウルトラマンメビウス、セブンの息子ゼロ。♪ウルトラの父が来た ウルトラの母が来た そしてタロウがやって来た あれは何 あれは敵 あれはなんだ 謎を秘め 襲い来る 侵略者 力がほしいと願う時 / タロウが飛び立つ タロウが戦う タロウ タロウ タロウ ウルトラマンタロウ/ 正義のための戦い、平和を守るための戦いは許されるのだ。このお正月に、孫から新しいウルトラマンを教わった。
2018. 1.10 老いること(2)−軟骨が縮む−

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ここ数年で背が低くなったように思う。少し世間というか周りの人たちの嵩(かさ)が大きく見える。7、8歳年下で少し私より低かった人と目を合わせると少し視線の角度が違うのだ。息子も同様、背丈の差が拡がったように感ずる。どこの軟骨が縮んでいるのでしょうか?ズボンの裾がだぶついているように感ずるときもあるし、老いてきたのは否めない。背が低くなった分、お腹が出てきているのではないかと思う。先日、ワイシャツをオーダーした。2年前から胸まわりが3cm細くなり、胴まわりが3cm太くなった。また髪の毛が少々隙いたように思うし、ダークグレー?と思うときもある。日によって、階段が昇りづらいときがあるし、徐々に老いが迫っている。ビタミンB12とコエンザイムは服用していますがね〜
2018. 1. 9 傘がない

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「♪都会では自殺する若者が増えている。今朝来た新聞の片隅に書いていた」陽水の古い唄である。半世紀近くを経ても、人の心は荒んだまま、決して穏やかにはなっていない。日本経済が世界を牽引する時代でも、将来を嘆き自らの命を絶つ若者がいたし、今の世もSNSを通してファッション感覚で「死にたい」「自殺願望」と書込んでいる。「保育園落ちた。日本、死ね!」とTwitterに書込んだり、「♪死ぬほど愛して」「♪死ぬほど会いたい」など「死」という文字が、程度が非常に大きいという形容詞になり下がっているのではないか!「死」という文字には、人間にとってもっと大切な概念があるはずである。陽水の曲、かれこれ40年は経つように思う。時代のうねり、歪みを感じますね〜。
2018. 1. 8 人口減少は避けられない!成人の日

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私たちの時は成人者250万人いたが今年は120万人、これでは日本の人口が少なくなるのは当たり前で、子供たち孫の世代には、こぢんまりした国になることは間違いがない。保育園を増設して無償化にして、世のお母さま方に働いていただかねば日本経済は持たないようになるし、下手に外国人に任せてしまうのも難しい。子どもの保育や教育現場もたいへんだが、一番たいへんなのは医療介護である。世話する人たちの絶対数が不足しているように感ずる。パターン化した治療を施して、医療効率を優先するようでは、患者のための治療ではありません。これからの時代、人材不足は日本経済の持病となり、70歳停年が目前でしょうね。
2018. 1. 7 昭和から平成へ

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天皇陛下が崩御された29年前、年末年始に差し掛かっていたので、年賀状の文面を謹賀新年ではなく「謹迎」にするか、新年会では乾盃をせずに「献盃」にするとか、深夜放送は自粛して、テレビもラジオもテストパターン、静かなクラシック音楽を流す日が、1ヶ月ぐらい続いたように思う。国民全体が自粛、寒さも相まって暗ーい雰囲気であった印象が残っている。小渕官房長官から「平成」の元号が発表されたが、新しい時代の幕開けだが陰鬱で暗い感じがある。今度は、退位されて元号が代わるので、気分は晴れやかで、新時代の到来を国民みんなで祝うことができる。自粛というムードがないだけに、活況を呈するのではないかと思う。
2018. 1. 6 西区の新年互礼会

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西区民センターで西区新年互礼会が行なわれた。これは区選出の府市会議員の先生方が発起人になられ、地域の世話人の皆さんと新年の会を催したいという意向を受けて始まった。それまでは議員の皆さんが各地域の新年会に招待されて、スケジュールが重なったりして、ゆっくりと話もできない、その煩雑さを解消するために、実施された。軽食の立食形式で進められるが、発起人挨拶、世話人挨拶、区長挨拶のあと、乾杯と祝宴。今年は330人もの方々が出席された。
2018. 1. 5 積ん読

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紀伊国屋書店やジュンク堂でも本を選ぶが、Amazonで本を買うようになってから、本がべらぼうに増えているように思う。ベッドの横に積んである山がいつの間にか高くなっている。始めは月刊誌別、文庫本や新書はジャンル別と本の大きさや目的に合せて、時系列に積んであったものが、いつの間にか混在している。読みかけの進行形のモノや置いておくモノや、まとめて時間がある時に読もう、と買った本は「積ん読」になりかけている。中にはポストイットに書込んで栞にしていたり、蛍光ペンでマーキングしている本は、それなりに読んでいるので、読んだ時の記憶や頭の働きが甦ってくる。しかし、文字が小さかったりして、初めのハードルが高かった本は、「積ん読」に入ってしまうことが多いように思う。
2018. 1. 4 プレッシャー

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周りの期待が大きすぎてプレッシャーに負ける、ということがある。なぜ見えない圧力を感じてしまうのか?それは自分が目指すものと周りが目指すもののズレから生じる。自分は趣味の延長で取り組んでいるものを、先輩やコーチ、家族はより高いレベルを想定してくれば、プレッシャーと感ずるのかも知れない。反対に、自分は全国優勝を狙っているが、周りは県大会出場すれば上出来だ、と思っている場合もある。問題は、大会の結果、勝負ではなく、本人がどう捉えて、それに打ち込んでいるかである。最悪なのは周りがさらにはマスコミが結果ばかりを気にすることである。優勝や1番、代表の座、メダル獲得などは、大きな問題ではなく、本人がベストを尽して臨んだかどうかである。一皮剥けると落ち着いて進むことができるのだが・・・。
2018. 1. 3 お正月のお月さま

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孫たちがワイワイガヤガヤ、にぎやか過ぎるお正月が、またも二人だけ寂しいいつもの生活に戻りつつある。昨日、家内は息子家族と一緒にお墓参りをして阿倍野界隈をウロウロ、私は来書簡の整理と夕飯の仕度。今朝、息子を新大阪まで送り、その足で関屋へ出向き、母と妹夫妻と一緒に食事をしてから近くの神社へ初詣、家内は新町で嫁さん孫達と談笑、お疲れバタバタのお正月。さて恒例の箱根駅伝は、往路優勝は東洋大学であったが、次の日の復路、第6区の山下りで、青山学院大学に抜かれ、そのまま総合優勝、見事4連覇を果した。今年のお正月の東の空のお月さまは大きくて見事でしたね〜。
2018. 1. 1 賀正 平成30年元日

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皆さんあけましておめでとうございます。戌年の元旦は良く晴れていて、日の丸を掲げて家族みんなで新しい年を祝った。今年の春には半島で何らかの動きがありそうですが、日本は平和の本当の意義を考える時、決して戦争をしないことが平和ではありません。孫が5人、4家族が勢ぞろいした。元日の氏神さんの難波神社の境内は参拝客が多く、家族が揃ってお正月を迎えることができるのは、本当にうれしく思います。母の所へ妹の家族も集まり記念撮影。

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