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長男の一人暮らし

 どんよりと曇った父の日に、長男が自分で決めたアパートへ引っ越しした。
 その前の年、難産の末に関西新空港が開港して、大阪は活気を取り戻そうとした時で あったが、明けた年は、阪神大震災やサリン事件があって世の中の歯車が変化しはじめ た時で、時代のうねりが明らかに「今までとは何か違うな」と実感したときでした。 東京都知事は青島幸男、大阪府知事には横山ノックの無党派が選ばれ、日米自動車協議 では橋本通産相がアメリカに噛み付き、政府は欧米からアジアへシフト移行打ち出した 頃でした。
 引っ越しの前日、悟一と日本橋へ冷蔵庫とテレビを買いに出かけた。場所こそ違うが 自分が一人暮らしを始めた時の心境が甦ってくる。25年前の自分が横浜日吉の学生ア パートで生活をはじめた時と情景が重なる。
 時が流れても、世界一の経済大国となった時も子を想う親の気持ちは同じなのか。少 なくとも、「豊かさを求めた時代」と「もの余りの時代」となったことだけは、異なる。 ちょうど大阪千里丘陵での万国博覧会が開催された年ではあったが、日本航空よど号が 北朝鮮までハイジャックされ、我が国で新型のテロ活動が表面化した時でもあった。あ らゆる産業経済界は高度成長の最頂点であった。しかしながら、欧米のそれを模範とし て、先進各国に追従することで甘んじていた時であった。日本国民全体が「そーれ!」 という時であったと思う。不景気な時期がきたとしても、2〜3年待てば好景気がやっ てきて、構造不況と呼ばれるようなものではなかった。日本経済を支えている「二重構 造」が華やかな時代で、大企業の下には中小企業がぶらさがっていたし、政界と官僚と の関係もごく当たり前のことであった。
 これからたいへん厳しい時代、変動する時代を迎えて、悟一の一人暮らしには賛成で はあったが「親としてどのように対処したらよいか」が難題であった。自分自身が親か らしてもらったことをそのまま子供にするのは簡単である。全く無関心で、勝手にやれ というのも、無責任である。25年という歳月が、物に対する意識を変えてしまったこ とは確かだ。と同時に、自然破壊が進んで我々日本人の美的感覚も狂ってしまったよう にも思える。物を大切にしない、使い捨ての時代。合理的、効率的ばかりに目がいく。 造られた日本庭園を美しいと称賛して、ごくごく自然な山や川の形が変わっても国土が 狭いから、土地がもったいないからという理由で済ませてしまう。なんと嘆かわしいこ とか。
 この一人暮らしを契機にして、悟一はいろんなことを体験して、学んでくると思う。 物の大切さや、お金のありがたさはもちろんのこと、生活をしていくことの厳しさ、煩 わしさなど、日々経験することが、人生勉強となると確信する。ただ生活手段のテクニ ックを学ぶだけの生活にはなってほしくない。「お金がなくなったらバイトをすればい い」「バイトをするなら、〇〇や」という短絡的に、人生を見つめてほしくない。人生 を貫く上で、何が大切なのかを自分で探し出してほしいと思う。物やお金だけあれば、 暮らしていける。というのは寂しいではないか。ぜひこれをチャンスに心の支え、人生 の支えが見つかれば、言うことはない。(1995.6.18)