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アジアの趨勢
 
   自らの歴史あり教養のある日本では、ペリー来訪からはじまった欧米化は、明治維新、文明開化、日清・日露の戦争を体験し、近代国家へと台頭した。アジアの先鋒としての日本を世界に見せつけた。華々しいデビューであったにちがいない。
  第一次世界大戦では、ドイツ帝国が潰され、ロシア革命でロシア皇帝を粉砕、第二次世界大戦では、日本の天皇を叩く予定であったが、アメリカの管理下で治めるという約束で天皇制がそのまま残ることになった。中国は共産党革命が起き、エンペラーはなくなった。

  一方アジアの他の国においては、中国は漢民族とそれ以外の民族が交互に中国を治め、支配者が変遷していく歴史である。朝鮮半島やベトナムも中国の属国の歴史があり、今もそのなごりを留める。
  中国における毛沢東の共産党結党後55年が経つが、日中国交正常化以後、市場主義経済へ移行を始めて20年以上経つ。欧米化も進んでいて、共産党政権と市場経済とは相反する現象が続いている。戦争後60年以上経つ現在でも、日本の軍国主義復活に文句を言っている訳の判らぬ国である。
  日本からのODA(政府開発援助)をあてにしているわりには、態度が大きく、軍備を充実し宇宙開発にも余念がない。国をあげての拝金主義傾向になっている。15年以上前、大前研一氏が「中国が世界の生産工場を一手引き受ける」というようなことを言っていたが、今になって一旦は中国へ進出はしたが、やはり中国では?という疑問や不安が出てきて、日本が足元をすくわれることもなくなったし、最近は存在が恐くはなくなりました。
  一人っ子政策の反動によって、世代が歪になっていることも否めない。時代の流れが子供を甘やかす体質になっている中国には次世代の脅威はない。若い30以下の年代がそれにあたる。
  まして何事にも誠意がなく、政府が指導するところの拝金主義にならい、個人主義がはびこっている。賄賂と接待はあたりまえで、まず個人のふところ具合と相談してから行動を起すことになる。会社に勤める人間は、企業としてどのように進めていくかよりも、まず自分がどうだ、自分の立場、自分が儲かるか、を考え行動する。だから話が前へ進まなくなってくる。
  よく中国人は「プライドが高い民族だから・・・」というが、プライドではない。優先順位の一番に自分が居るから、そう見えるだけだ。国民皆が個人崇拝になっているからプライドが高く見えるし、個人のことしか考えないから会社もすぐに辞めるし、その場の繕いだけで終わってしまう。お客様のことなどは考えていても、その場限りのことだけで継続的な取引きは頭にない。だから一回だけの取引きとしての感覚しかないのである。日本人的な発想をもった中国人はお目にかかることは少ない。
  今では投資対象とする国というより、消費国としての魅力しかありませんね。次に控えるところのインドにも消費国としての魅力はありますが、世界の生産国としての役割は少ないように思います。
  中国人もインド人も頭がいい、とよく言われていることである。個人個人の頭脳は明晰であっても、会社のまとまりや国民のまとまりとなると、バラバラになる要素が大きい。欧米から見れば、宗教であれ、民族同士であれ、国内でいざこざがあって揉めているほうが都合がいい。戦前の日本がそうであったように、国がまとまることが一番嫌うことである。適度に小さないざこざがあって異教徒がいて、独自の産業も活発には振興しないところが望ましく管理しやすいのだ。
  日本はことごとくあてはまらないピカいちの優等生である。あまり積極的に台頭してくると、こんどは欧米が侵食してくることになる。経済活動の上に人の名誉欲と消費欲を絡ませ、発展させているかのごとくその国民に錯覚を陥れる。古い良きものが壊され、文明の産物に代用されてしまう。
  気がつくと周りにはユダヤの資本が見え隠れしていて、貴重な文化と自然は破壊されていることになる。その国に吸金の魅力がなくなったら河岸を変えて、他国へ移動して、同じようにくり返す。

  日本は歴史もあって教育がしっかりしている基盤があっても、ここまで侵食されている。中国は歴史はあるけれども、個人主義が強く、政治と経済がねじれていて非常に 不安定なので、侵食はしやすい環境にある。
  日本をはじめとして、東アジア、南アジアへの欧米の侵略は、どこが尖兵となってどういう手段で行くのか、これから注目していくところだ。
(2005.12.19)