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老い人生
 
  50歳を過ぎた壮年には、壮年の熟した人生があって、今現在その時を生きているが、 気持ちはまだ若いと思っている。
  あれもせないかん、これもせないかん、あれもこれもと、 身体がいくつあっても足らないと思う。こういう思いは、以前にも書いたかもしれない。年齢を経てくるとやるべきことが、よく見えてきて、目的のことをやろうと思えば、これと、これと、これを処理せねばならない。その中でこれは急を要する。これはその次と、など、仕事においても、何においても、そういう風に、頭と経験でついつい運んでしまう。無難と言えば無難ではあるが、反対に安全地帯にいるのか、 危険水域に入っているかどうかもよく解ってくる。
  会社の経営状況についても、まわりの環境が厳しいとき、比較的いいとき、など内部事業も外部事情も、よく理解できる。
  若いときの経験を活かすのは、その時代、時代を力いっぱい生きることが、いろんな人脈を引っ張ってくることに繋がってくる。楽しく遊んだ人脈もおもしろいかも知れませんが、所詮遊び仲間であることが多い。人生に対して前向きかどうか、ということが一番の判断基準でしょう。プラス的な思考をすることが大切です。
  しかしながら、何でもかんでも、プラス思考に、考えてしまうのは、どうかと思います。 ダメなものはダメ。と明確に断言することも必要です。天然的に何でもかんでもプラス思考の人は、いいのですが、元々マイナス的な人が、無理やりプラスに考えている人も見受けられます。自分の都合のいいよう(本人は気づかずに逃げ的)な思考に陥っているかも知れません。無理にプラスに考えることは、かえってストレスの原因にもなるのではないでしょうか?

  夢を削りながら人生を送っていく。という歌詞があったが、新聞か何かで読んだ記事の中に「老いは喪失の連続。誰も恐れなくなったときに逝く。何人も運命から逃れることはできない。」とあった。(2002.7.15)