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「ま」という言葉
 
   ハード面は、老朽化してくると、反作用として、冴えてくるのが経験からくるところの洞察力(そんなかっこいいものではない)が増してくる。頭脳の回転が悪くなったにもかかわらず、言葉や身だしなみ、日頃の生活態度などから相手の人となりを読み取ることができる。そしてそれなりにお付き合いをこなすことが出来るようになる。アカン奴とはアカンなりに付き合えるし、嫌な奴はお互いに嫌な奴と思いながら付き合いができるようになってくる。自分の周りの事象を一歩退いて見ることも出来るようになって、感情が如実に前面に出てくることが少なくなってくる。我慢することも学び、顔に皺ができ、頭髪に白いものも目立つようになる。全体にまあるくなるところがあるかと思えば、「これだけは・・・」というこだわりの頑固さも同居してくる。これが「壮年」なんでしょう。

  何をするにしても物事のウラ面や本音が見えてくる。相手の立場も理解できるし、相手の顔をつぶさないように、治まる方法を心得てくる。また世間という恐さやずるさ、冷たさが分かってくる。本音は直接には言わなくなってくるし、先が見えてきて焦る気持ちは人一倍はあるけれど、ゆっくり行かざるを得ない。じっくり行ったほうが、世の中うまくいくと、学習をしている。イライラ我慢が、顔や表情に出てくる。皺になる。ハゲになる。白髪になる。肩が凝る。

   若いときは、自分の力で生きているという自負心があって、ナポレオンのごとく不可能という文字はないという、おごりがあったけど、年齢とともに、そのおごりが萎えてくる。若いときに抱いた大きな夢が削られて、また削られて、すり減っているのが体感できてくると、いつのまにか、残りの時間を見てしまう。少なくとも10年の歳月が要る、いや20年・・・。自分はその時代、時代を一生懸命にやってきたように思うが、不十分であったのだと省みる。

   アッという間に、中年のおじさんになった。アッという間に壮年になった。アッという間に若さがなくなってしまった。

   いつの間にか、無理をしなくなった。いつの間にか、無茶もしなくなった。いつの間にかやんちゃもしなくなった。

   間(ま)という言葉、には、魔物が潜んでいる。「ま」を大きな辞書で調べてください。おもしろいから。(2002.6.17)