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経営理念との出会い

 1.創業者と後継者   2.社是と人生訓     3.四代目と共に
 ・生い立ち       ・経営理念があれば    ・吾唯知足
 ・彦根工場時代     ・社是との出会い     ・息子の存在は大きい
 ・大阪に戻り営業    ・人の道         ・自然の法則
 ・楽屋の染み


  はじめに、市産経の月例会で、発表する機会をいただきましたことに感謝いたします。 厚かましくも「経営理念との出会い」という大きなテーマでお話させていただきますが、自分がやってきたことをお話しして、皆様のご参考になればと思います。

1.創業者と後継者
  まず、自分の生い立ちからを話させていただきます。私は、叶村バルブの三代目 としてこの世に生まれました。兄弟は妹のみで二人です。小さい頃から「いい後継ぎ になりや」「三代目やな」とか、よく言われました。
  小学生3年の時「将来何になりたいか」という作文を書いたとき「後継ぎ」になり たいと書きました。当時の先生から「川村は夢がない」と言われたことを覚えていま す。今から思うと、子供らしくなかったんでしょうし、またそのように育て上げた祖 父母、両親には頭が下がります。中学、高校時代は、あまり後継ぎのことについては、 考えませんでした。ただ恐ろしいもので結婚相手は、商家で育った娘さんをと、おつ きあいをするときから、区別していたように思います。
  大学卒業後、はじめての勤め先は、当時(昭和49、1974年)滋賀県の彦根に工場が ありましたので、そこに入ることにしました。先代(私の祖父=昭和41、1966年没) の出身地でもありますし、生前に「問屋というのはなくなる恐れがある。小売店にな るか、メーカーになるかという選択をせなあかんで」とよく言っていたことを父から 聞いておりましたので、メーカーに勤めることにしました。
  政権は田中角栄が総理、野球ではジャイアンツの長嶋が引退する年で、日本列島改 造論のあおりでティッシュペーパーや砂糖などが品不足している時代でした。物を作 っては売れる、作っては売れるという華やかな時、無茶苦茶な時でした。バルブも紙 や砂糖と同様に、売れている時でした。
  しかしながらバルブという商売はぼろいのかなと思ったときには、その反動がきて いました。ロットが最盛期の四分の一になり、200台作っていたのが50台、30 台になりました。簡単な加工や組立、検査や出荷などの作業も、私はしなくなりまし た。職人さんにも無理を言って退職してもらいました。今で言うリストラを25才の 若さで体験しました。
  自分が雇っていない人に辞めてもらうのは、非情な精神が必要でした。私が勤める 以前の人間関係などは全く無視せねばなりません。特に社長と当事者との個人的な労 使関係などは、一切知りませんし、過去のことを聞いてもどうすることもできません。 社長に聞いて事実を確かめても、水掛け論の域を脱しえないし、任されているのは、 この私ですから、自分の判断でするしかなかったのです。
  昭和51(1976)年6月、「お前、作るばかりでなく営業せよ」との命を受け、自分の 本拠地を大阪へ移しました。叶村バルブと彦根の工場と二枚看板を背負うことにな ったわけです。



戦前の川村昌三商店の店舗  戦後復興後の仮店舗

3階建ての社屋  現在の社屋


  大阪はベテラン社員ばかりでした。さぞ、切れ者が集まっているかなと期待してお りましたが、豈図らんや、営業職であるのに、朝から外へ出ずに社内にいて、電話で 受注、注文品を荷ぞろえをして一日の業務終了、というのが仕事でした。外へ出るの は、集金のときのみでした。
  自社ブランドの力が強くて「売ったてる、買うたってる」の商売のように見えまし た。実際に当時は、ブランドの力で、川村バルブ特命で注文が入ってきましたし、立 売堀の同業他社が弊社のバルブを売ってくれておりました。月星印は川村、というシ ステムが出来上がっておりましたし、勝手に日々注文が入る。そういう状況でしたの で、営業マンが育つわけがないのです。外向きの営業は一切せずに、すべて受け身に 見えました。営業担当はいたけれども、営業実績を給与に反映させることもありませ んでした。営業会議や経営会議もなく、ただただ日常の業務をこなすだけ。売上達成 目標もなければ、経営計画もない、まして経営理念、社是はない、そんな社風でした。

  私は営業担当として、受注から荷ぞろえ、外交、開発などやっておりましたが、 30才になる年に、決断をしました。「これではいかん。自分が潰されてしまう。せ っかく先代が築いた会社を消滅させてはいかん。ろうそく一本でいいから、絶えるこ となく継続しよう」と。
  その原因のひとつになったのは、それまでわずか3年ほどの営業経験しかありませ んでしたが、ベテラン社員とのビジョンについて話した時でした。
  「私は将来このような会社にしたい」「こうなったら、ええやろ」というビジョン を社員と話していました。すると、返ってきた応えは、そのビジョンに対してではな く「社長はどういうてはりまんねん」「そもそも川村バルブは・・・だから・・・」 全く評論家のようでした。社長が正しい」「社長の言うとおり」「社長が神様」「社長 のやるとおり」「すべて何でも社長決裁」・・・。
今から思えば、これらの原因は二代目にありました。「良きに計らえ」「自分には強 烈な思いがない」つまり経営の計画性を持ち合わせていなかったのです。年間の数値 目標でもあれば良かったのですが・・。行き当たりばったりの経営姿勢で、よく会社 を維持できたなと思います。
  そんな父ですから、よく衝突をしました。会社を愛する気持ちは父に負けないくら い持っておりましたが、会社を貫く串刺しのバックボーンがないので、つまり価値観 の合意ができていないので、方法論でよく衝突し、感情的になることも、多々ありま した。父は創業者ではないので「継ぐ」という点では、父と同格でした。初代から継 いだ父は、それはたいへんだったと思います。ただ、父が楽だったと羨ましく思うの は、戦争によって当時の社員が離散し、戦後に「川村昌三商店」を復興したときは、 店主として開業し、若い無垢の社員を雇えたことです。
  私自身は、二代目のカラーに染まってしまった社員、つまり30年もの永年に亘る 社風を自分に合う土壌に開墾するところから、始めなければならなかったのが、今か ら思うと、時間の無駄であったように思います。しかしながら、様々な経験をさせて もらいました。少しは、人間として熟(コナ)れてきたように思います。
  そもそも社風というのは、ほったらかしにしておくと、仕事の内容を、社長も含め て各自がおのおの勝手に、自分に都合のよいように解釈してしまう恐れがあります。 まずは、経営する上で、源となる会社の憲法を定めることが必要なのだと感じました。 父が築いた舞台は、素晴らしいものですが、楽屋の染みも頑固でした。もう少しう まくスマートにコンセンサス(意見の一致)を図れたら、私は本来の事業の推進に精力 を費やせたと思えてならないのです。それこそ家訓、家憲であります。創業者であっ ても、二代目、三代目であっても、自分はこういう信念で、経営をしてきたのだ。ま たこれからもしていくのだという決意を、凝縮したことばに顕しておけば、後継者や 社員にとって心の支えであり、企業の羅針盤となると思うのです。

2.社是と人生訓
  「あなたの会社の経営理念というのは何ですか?」と尋ねられたとき、困ったこと がありました。また社員がお客様のところへ出向き、そんな話になった時、経営理念 があれば、それだけで、話題を膨らませることができます。「うちの社長は、何かと いうと(・・)と言うんです。最近では新米の社員を捕まえては唱えていますよ」 とか「我社の理念は、将来の日本を背負う会社になるのだという経営ビジョンから作 られています」など社訓や経営理念を、解説することも可能です。
  実は、私は、経営者の目的と社員の目的は、「相反するものだ」ということに拘泥 していました。業務改善や組織改善をするにしても、会社のことを思い、社員のこと を思い提案し、実行しても、社員が納得していないのではないかという、いわば妄想 的、慢性的に悩んでおりました。経営という枠を、自分で狭い部屋に閉じ込めていた のです。小さい時に、自分は後を継ぐという「こだわり」「決意」が強すぎたという のも、自分を知らず知らずのうちに「殻」を形成していたのだと思います。
  専務時代の昭和57(1982)年に、経営理念を作ってみて社員の前で発表しましたが、  何かしっくりきませんでした。 昭和61(1986)年に社長に就任し、平成元(1989)年に 社名をカワムラに変更しました。社名を変更して3年目、平成4(1992)年にもう一度、 役職の社員も含めてその経営理念をひもといてみました。なるほど、理念に書いてあ る言葉は素晴らしいことを書いてありますが、それでもピンときませんでした。自分 が10年前に作ったものですが、納得できないのです。
  それから、一体経営とはなにか、商売とはなにか、商売のルーツは何かなど、いろ いろ読みあさりました。社員と一緒に、ビジョンを言い合い、ホワイトボードにまと め理念みたいなものをボトムアップで作ろうとしました。
  それから1、2年して、経営者と社員の溝、こだわりの「殻」が取れかけてきたと きにある言葉にぶつかりました。人は(自分のために働いて)いるんだ。これは誰で も言える真理であります。また会社に勤めている以上は(会社のために働く)という のも入れておかねばなりません。これも、納得できる。では、お客様はどうするのか。 お客様あっての会社であり、自分なのです。顧客のために働く、というのは、どうか な。しかし仕入先はどうなるか。仕入先は顧客ではありません。仕入先の応援がなけ れば商売は出来ません。仕入先も得意先と同様に大切です。会社に来られる方すべて、 押し売りも何もかも含めて「お客様」という拡大解釈をしてみました。自分たち以外 を広く捉えて(社会のため・・)が適切なのか。

  そこで英訳して考えてみました。For Myself、For Our Company はすんなり決まり ました。For Society は当時の社会党のイメージが過ぎります。二つは出来ているの に、あとのひとつの言葉がピッタリしないのです。思い出しては手帳を眺めていまし た。考えた末、地球的規模で行こう。For The World という大きく捉えて見よう。結 局(社会のために働く) Work For The World ということになり、和文と英文を併記 して、社是としました。
社是の3項目を見つけてからは、何か世の中がサーッと拡がったように思えました。 大きな企業もさることながら、うちのような小さな会社でも通用する。いい社是であ る。自分でその言葉に惚れてしまいました。
  しかしながら、(働く)ということは一体どういうことなのか。なぜ働くのか。自 分のため、会社のため、社会のため、となるが、働かねばならないのは、生活をする ためか。お金儲けのためか。という次の難題が待っていました。歴史上の聖人と言わ れる孔子やキリストの論語や聖書なども読んでみましたが、これといってピンとくる ものはありません。
  ある日(平成7(1995)年6月16日)講演会がありました。熊本の中小企業の社長さ んのお話でした。鉄工所を経営していたが今はコンピュータの部品の製造をやってい て、熊本県では屈指の優良企業になっている、いわばサクセス・ストーリーでありま した。その講演の最後のほうで、こうおっしゃいました。
  相手のことを思うと、いつのまにか経営システムができあがってくる。つまりお役 に立てる企業になることです。そうすれば、危機感はあっても、不安感はない経営が できる。と、まさに目から鱗が落ちた瞬間でした。
  何かその講演が終わった時に、ときめきがありました。胸の中から地響きをあげて 込み上げてくるようです。歓喜の叫び声が轟き起こる前の静寂、といった感じです。 もうひと方、講演があったのですが、たいへん失礼ですが、パスをして帰りました。 帰る道中で、その社長の言われたことを何回も繰り返しました。(お役に立つ)(お 役にたつ)・・・・・(人のお役に立つ)という言葉は実に素晴らしい響きをもって いるではありませんか。早速、帰ってまとめてみました。

  (役)は、「薬」と置き換えてみることもできます。「そいつのことを思って薬に なってやる」ことも役に立つことです。「約」=決まりごとや約束を守ることも、役 に立つことです。「訳」=分かりやすく教えて伝えることもそうですし、「躍」=相 手を励まして活気づけることも役に立つことです。「ヤク」という言葉は奥が深く、 やきもちを妬く、世話を焼くも「ヤク」のうちかも知れません。
  自分以外のすべての人のお役に立つことは、とても難しく、厄介なことですが、ま ずは自分を育ててくださった父親、母親のお役に立つことから始めよう。いとも素直 な気分になってきました。さて、親の次は、日頃自分のまわりにいる人の役に立って みること。家内、子供3人。社員、近所の人、取引先の人・・・。
  (人のお役に立つ)ことが人生そのものだと思った瞬間から、人生が開けてきまし た。世の中がものすごく明るく見えてきました。少なくとも、人のお役に立っている と実感しただけで世間が、ちがって見えてきました。と同時に人のいたみもよく分る ようになったのが不思議です。(人のお役に立つ)ことをしていると、生きているこ とを肌から実感できるんだ。商売をしていくにも「お金」を目的としていたら、結局 お金(=お客様)は逃げていくと思います。(人のお役に立ちたい)と常日頃から思 って、商売をしていたらお客様(=お金)は、寄ってきます。
  この世にオギャーと産声を発して生まれることは、古代も同じです。古代にはお金 はありません。ものも衣食住の最小限度の必需品しかなかったでしょう。情報も言葉 もなくヒトが見るものと聞くものしかない。確かなことは、猿みたいなヒトが存在し その親と家族が生活をしている住みかがあった。そして家族を取り囲む社会があり、 同じような顔かたちをしたヒトたちと生活をしていた。

  さて、猿とヒトの違いはなんでしょうか?DNAは99%一緒だと聞いています。 その違いはヒトが神の存在に気がついたからだと言われています。猿は天を悟ってヒ トになり、ヒトは神を奉りて人になり、人は罪を悟って神となる。人は「神の子」と 言われる所以です。
  人間というのは「人の間」と書いて人間。人は人と共に生きることは、文字を発明 した古き時代から理解されていたことだと思います。そして人間として生命をこの世 に授かってから、誰しも人に害を及ぼそうと思う人間はいないと思う。親は手塩にか けて子を育て、(世の中にお役に立てる人間になってほしい)と願う。幸せになって ほしいと願う。駆け引きなしで親が子を育てる姿は美しいものだと思います。
  古代には貨幣というものがなかったので、お金持ちになってほしいと願う親はいな かったでしょう。最近はあまりにも経済活動が活発になって「お金」のために生きる 輩が多くなり、お金儲けを人生の目的とする人が増えてきています。貨幣はわずか二 千年前に人間が作ったものです。経済の流通機能を円滑にするための手段として作ら れたものです。人が作ったものを人生の目的とするのは実に寂しいと思います。
  私は「人のお役に立ちなさい」という言葉に感銘を受けて、@親孝行をすること A地域社会に奉仕すること、B人のいたみを分かちあえること を学びました。
そして、その13年前に作った経営理念は書き替えられ、次のようになりました。

  経営理念
  1.私たちは、至誠を尽くし、広く社会に貢献すべく使命感をもって働きます。
  1.私たちは、ささやかな能力を結集して可能性にチャレンジします。
  1.私たちは、常に自らの品性を高め、企業を発展向上させます。
  1.私たちは、慈愛と感謝と勇気をもって生涯を貫きます。


  さらに、現在では社是は、自分→会社→社会というのが逆になって、社会→会社 →自分という順になっています。

    社是
    1.社会のために働く   For The World
    1.会社のために働く   For Our Company
    1.自分のために働く   For Myself



3.四代目と共に
  今から10年ほど前、経営する上で苦しい時がありました。銀行の経営が不安定で あり、貸し渋りや貸し剥がしと言われた時です。弊社もその影響をまともに受けており ました。会社も私の心も脆弱になっているときでした。自分のできるところからやる しかない、焦ってもだめだ。コツコツと地道な努力しか救われる道はない、と感じま した。朝、6時半から会社へ行き、前の道を掃除をして自動車を出して、お湯を沸かし て7時には、仕事の準備完了、というのが、平成11年2月(1999)から平成16年7月(2004) に身体を壊すまで続きました。自分でもよく続いたなあと思っています。同時に伏見稲 荷神社に毎月一回お参りをしましたし、お墓参りもよくしましたし、今も健在でありま すが両親にもよく会いに行きました。
早起き、掃除、お墓参り、親孝行はパワーを授けてくれます。その中でも、親孝行の パワーはすごいですね。
  そんな時、私の息子が入社(平成13、2001年)してきました。気弱になっていた自分 が、四代目が入ってきてから、自分が日に日に元気になっていき、気合いが入っていく のが判りました。純粋無垢な息子から発せられる会社でのおかしいところを質問される のも自らの過去とダブって映るのも楽しみのひとつでした。
  ちょうどそんな時、「息子のために、これを完成しておこう、息子のために経営状態 をよくしておこう、という風に思ったらダメやで」と大学時代の友人に言われました。 「俺んちがそれで潰れかけたから」と。実際、息子の立場からだと、父に迫ろう、追い つこうと焦ってしまうときがありますが、その裏返しなんですね。社員や他人の評価 などは気にしないことです。自らの天職と仰ぎ、やり続けることが大切です。
  確かに父は、ライバルであり、よき先輩であり、よき協力者であり、よき理解者で あります。天才、奇人変人は別として、決して自分が親父以上に出来ることもないし、 父が出来たから自分も出来るだろうという程度なんです。だから、志を大きく持つこと は素晴らしいことだと思いますが、会社を大きくしようとか、上場を目指そうとかと 思うことよりも、自分の関わる生活範囲内で、周りの方々に喜んでいただいているのか、 と常に自問自答すればいいのではないかと思っています。

  今の私の個人生活における人生訓は「吾唯知足」であります。生きていることが、そ もそも大きな成功であり、まして結婚をして子供たちにも恵まれ、家内も自分も健康、 大阪の同じ所に生まれた時から今現在も住むことが出来ていることは、身に余る幸せで あります。世の中に感謝してもしきれない気がします。
  そう考えてくると、これ以上何を求めようか、となってきます。企業人としては少々 迫力に欠けますし、昼行灯のようにぼんやりしているごとく見えます。迫力と言えば、 最近介護のコムスンを買い取ると宣言をした居酒屋チェーンの和民の社長は迫力がありますね。昨年、騒がせたホリエモンや村上某という方々も迫力がありました。 「会社はお金を儲けて当たり前でしょ」「お金を儲けることは悪いことですか?」と。 会社をやっていけば、結果的にお金が入ってくるのであって、お金を目的にすれば、 お金は逃げていくし、エライ目に遭うことは、間違いがないようです。自分の代で 反動が来なければ、子供や孫の代でいずれ報復がやって来るにちがいないと思います。   息子が入ってきて、大きく変わったことは、自らあまり仕事をしなくなったことです。 そしてぐっすり眠れるようになったことです。あまり細かいことは言わなくなりました。 息子より前に役員になった常務がいるのですが、実際常務の方が経験もあるし、仕事の 納め方はシャープだし無駄はないように思います。自分と世代が合うからかもしれませ ん。しかし、常務は常務までで、息子である専務は次がある。この次の椅子があるのと ないのとの差は大きいように思います。その差があるので、専務の存在感が生まれてく るし、言葉が重くなって伝わっているのです。本人はあまり気にしていないようですが、 社内、社外を問わず周りの人間は、敏感に感じているのではないかと思います。 また、社長と社員の間を埋めてくれるという期待もありますし、直接指示するよりは、 間接での指示のほうが、聞く方とすれば受入れ易く感じてくれ、仕事がスムースに運ぶ ことが多いように思います。

  さて、この人生訓をベースにして、社是、経営理念を指針として、日々経営に臨み、 努力、精進を重ねていくことによって、結果、企業が継続できることになると信じてい ます。社是や経営理念はどのような経緯で作られるかは、その会社、会社によって異な るだろうと思いますが、大切なことはそれらが「自然の法則」* に合致したものでなく てはなりません。初代、二代目、三代、四代・・・と企業は、永続させてもらえる企業 になることが、最も重要なことだと痛感しています。21世紀は善と悪が分けられる世 紀であります。人だけが持つ「神の心」を原点に捉えて行きたいと思っています。
  結びに、会社としては、どのように社会に貢献できるか、つまり、社員と共に、社員 の家族も含めて喜びを分かちあえるか、税金を払って日本の国の財政に貢献できるか、 商売をさせてもらっているお客様や仕入先、地域の方々にお役に立てるものはないだろ うかと追及していくのが、企業の目的でもあります。社長をはじめ社員ひとりひとりが 自らの品性を高めていくことが、企業の発展につながり、人類社会に寄与できるものと 確信しています。
  私自身、何年かかかって人生訓や社是、経営理念を作れたことは、良かったと思って います。もし二代目の社長が、別の品性の持ち主であったなら、この人生訓(人のお役 に立ちなさい)ということばを発見できなかっただろうし、あの講演会で熊本の社長の お話を聞いたとしても、未だ到達してなかったと思います。
  どうか皆様方の会社の社是、経営理念の文言を、もう一度噛み締めていただきたい と思います。また、これから作られる方は、素晴らしい社是、経営理念とめぐり会いま すよう念願して私のお話を終わらせていただきます。
  ご清聴ありがとうございました。(2007.9.25 市産経での発表)

 *自然の法則 = 神の心
  宇宙自然の法則=適合したものだけが進化する、これに反するものは退化する。
  世の中には良いものと悪いものがいる。流れに逆行する者、順応する者は滅んでいく。
  順応しながら真理を守る者は残る。ダーウィンの自然淘汰。

  社会の法則 = 道徳
  権利を主張する前に、義務を実行する。伝統を重んじる。他人の幸せを願う。
  悪事は必ず露見するなど。



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