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トップ交代に思う

  武田信玄は「我死すとも三年、喪を秘せよ」と言ったのは何であったのか?信玄の自己陶酔か、勝頼のたよりなさのためか(それでは勝頼があまりにも可哀相だ)。なぜ、そのようなことを言い残しこの世を去ったのかは、定かではない。言うまでもなく、信玄が中国古典の書物を深く研究していたことは、あの有名な孫子の旗「風林火山」で証明されているが、統治者の交代に三年の期間を要するのは、勝頼に対する親ごころであろうか。
 さてトップ交代のとき「新社長に聞く」などのインタビューで経営方針、施策などを新聞に掲載され、TV放送で視るのは、規模の小さい会社を経営している者や、経営の未熟な者からみれば十分に教わるところがあって参考になる。しかしながら、新しい社長が就任するたびに方針が変更されるのも考えものである。特にサラリーマン社長の場合で、任された在位二、三期の間に実績を上げなければという身勝手な個人目標を掲げられると、内外問わず周りの者にとっては、「こりゃ、たまらん」ということになる。
 まぁこの世の中、何であれ組織の長になれば、実績を上げよう、名を残そうとして、誰しも焦ってしまうのが人情でしょうし、私もそういう経験はあったように思う。自分の顔をよくしようとか一旗上げようなんて思っていたら、全く周りの状況が見えなくなってくる。その「トップ」になったときの心理状態の弱点を巧みに利用して、この「トップ」に気に入られようとする輩が、様々な誘惑を取り揃えて取り巻くのも、この世の中の面白いところである。
 子曰く「父在せばその志を観、父没すればその行いを観る。三年父の道を改むることなきを孝と謂いつべし」。自分勝手な解釈をするならば、うまい汁を吸ってやろうという連中が群がるのは、せいぜい三年というのが限度ということになるらしい。利用する価値がないとなれば、接触をやめるだろうし、お気に入りになれなければ、遠ざかって行くだろう。こういう類の人間は、その組織の外部にだけでなく一緒に活動をしてきた内部にも、存在するのが古今東西の真理である。
 だから、トップになっても焦らずに、物事を冷静に見定める見識は持っておく必要がある。少なくとも三年間は平然として前任者と同様に変わらないやり方で実行していれば、それで事が足りる。どちらかと言えば、東洋におけるトップは血走っているよりは、用心深いほうがいいようである。外観からは「同様なように見えるように」行なえばよい。そうすれば不要な者や媚をへつらう者は、自然の真理現象によって消えていくことになる。
 現在のような目まぐるしい時代では、悠長でのんびりとしていて、時の流れに合わないと思うが、永い人間の歴史における「教え」は崇高な重みがある。
 信玄公は、わが子勝頼へ、こんな深い愛をもって死を迎えたのかもしれない。(1996.8管材新聞掲載)